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re:公式見解は「生物的血統」です。反論できますか?

 投稿者:いえもり  投稿日:2013年 9月20日(金)11時19分21秒
  ミューズさんは、「神の血統」、「サタンの血統」ということと、「人間の親子の関係である血統」とを混同していらっしゃいますね。

「神の血統」「サタンの血統」と言った場合は「生物的血統」ではないですよ。
神様もサタンも地上の生物ではないのですから、そんなのはあたりまえです。

ミューズさんが持ってこられた「霊的集団『氏族協会』の誤りを正す!」に示された公式見解というのは、岡本氏の言う「血統の連結に関する霊的な妄想」とか「神の心情に直結したと思い込むこと」に対して、述べているわけで、この場合は、血統というのは「生物学的」に連結された血統のことだと言っているわけです。

岡本さんは、個人の精神的なもののことを言っているわけです。そして、公式見解は、血統とはそういう個人的な思い込みではないと言っているわけです。

お父様のみ言にこのようなみ言があります。

「そのように結婚することによって、血統の根本が切れるのです。サタン血統を断絶することができなかったというのです。何のことか、分かりますか?このような厳粛な課題が、今から転換する時代になったのです。」(第40回「真の父母の日」記念礼拝の御言)

「結婚することによって血統の根本が切れる」とおっしゃっています。

ミューズさん、これってどういうことだか説明できますか?


 
 

公式見解は「生物的血統」です。反論できますか?

 投稿者:ミューズ  投稿日:2013年 9月20日(金)10時46分52秒
  >ミューズさんは、原罪なるものが、遺伝子配列の中にあると思っていらっしゃるのですか?
原罪のある人間というのは遺伝子配列の何番目から何番目までがこうで、原罪のない人間とは違うのだ、などと本気で思っていらっしゃるのでしょうか?

以前、別の教会員のブログにもコメントしたことですが、よくご存じの通り、「血統」に関する統一教会の“公式見解”が、書籍「霊的集団『氏族協会』の誤りを正す!」に示されています。以下、抜粋します。(P258)

「また、真のお父様の御言には、

『愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的な愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的な愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません。』 (訪韓修練会御言葉集 12ページ)

とあります。」

「ここで述べられる『血統』も、生物学的なアダム(男)とエバ(女)の血統のことであり、岡本氏の言う『霊的な目に見えない何か』なのではありません。縦的な愛、すなわち父子関係とは、岡本氏の言説のように、血統の連結に関する霊的な妄想でも、神の心情に直結したと思い込むことでもないのです。生物学的に精子と卵子の結合による『血統的なつながり』がある関係のことを言うのです。」

(以上、引用)

このように、統一教会の公式見解を表明した書籍の中に、血統とは、「生物学的血統」のことであると明言されているではないですか?それとも、公式見解が変わったのか?もし、そうであるなら、最新の公式見解を出典を明示した上で、説明してください。それとも、いえもりさん自身の個人的見解ですか?

>ミューズさんは、原罪なるものが、遺伝子配列の中にあると思っていらっしゃるのですか?
原罪のある人間というのは遺伝子配列の何番目から何番目までがこうで、原罪のない人間とは違うのだ、などと本気で思っていらっしゃるのでしょうか?

そもそも人間に原罪などありません。なぜなら、人間は堕落していないからです。統一原理で説かれる堕落性本性は、堕落の結果生じたものではなく、もともと人間に備わっている創造本性から誘発されて生じた先天的性質のものであるからです。原理講論にも、「堕落性本性が生ずるようになった根本的動機は、天使長がアダムに対する嫉妬心を抱いたところにあった。」、「このような嫉妬心は、創造本性から誘発されるところの、不可避的な副産物であり」と記述されている通りです。

それでは、堕落性本性がなぜ、創造本性に由来する先天的性質であると言えるのか?もともと、人間(および他の生物)は個体の生存維持のために必要不可欠な欲求を持っているのであり、この欲求は、人間の場合、「肉心」が要求するところの「利己主義的」欲求にほかなりません。しかしながら、このような欲求を無軌道に実現しようとすれば、他の個体はもちろんのこと自分自身の破壊消滅をももたらすことになります。こうした状態は、人間の「生心」が要求するところの「利他主義的」欲求と矛盾衝突するものであり、このような状態をもたらすに至った”自己中心的思い”こそが原理で言うところの”堕落性本性”にあたるものと言えるのです。すなわち、人間の成長期間の途上において、「利己主義を指向する肉心」と「利他主義を指向する生心」との円満な調和が保たれていない状態こそが、原理で言うところの”堕落状態”であるということになるのです。

もちろん、人間が個性完成すれば、「肉心」が「生心」によって主管され、両者の矛盾衝突状態は克服されます。逆に言えば、「「生心」が「肉心」を主管すべく、すなわち、「利他主義」が「利己主義」を主管すべく、自らの意志と努力によって、個性完成を為すこと」が、人間が神から与えられた責任分担であると言えるのです。

よって、堕落性本性なるものは、人間始祖の堕落の結果生じたものではなく、あくまでも創造本性から生ずる可能性のある先天的性質であると言えるのです。

それから、いえもりさん、遺伝子配列云々のご批判ですが、統一教会の公式見解を語っておられる上記書籍を執筆されたお偉い先生方にもされたらいかがでしょうか?

先の書籍の執筆者は、「父子関係とは、生物学的に精子と卵子の結合による『血統的なつながり』がある関係のことを言う」と明言しているのです。遺伝子配列がどうのこうのといった苦し紛れのコメントを返す暇があったら、この見解について、きちんと納得できる合理的な説明をしてください。もし、できないのなら、素直に、教会の言う「血統概念」の矛盾を認めるべきです。

もっとも、統一教会の教義の非科学性・非論理性は、何も血統理論に限ったことではありません。清平摂理などその最たるものです。4400億の絶対善霊?ホモ・サピエンスが地上に出現してからこれほどの数の人間が地上に生まれましたか?子供でも騙されないような支離滅裂な数ですね。もっとも、神の真の愛と理想の実現を表看板に掲げながら、実際は、教会員に対する絶対服従を要求し、さらには、一般社会についても”非原理世界”だとか”サタン世界”などと称して、内心は見下してきたのです。その現実的な現れが、”霊感商法”であり、内部霊感商法ともいえる”清平役事”なのです。

結局のところ、諸悪の根源は、「神の愛と理想の実現」を謳い、また、「宗教と科学の統一」を謳いながら、その実は、「自称メシアの文鮮明教祖に対する絶対服従」を強い、「前近代的かつ非科学的な迷信」を中核とする統一教会の教義そのものにあるのです。一言でいうと、「言っていることとやっていることが真逆の宗教」、天一国と称する理想世界などそれこそ、”絵に描いた餅”に過ぎない。それが統一教会の実態です。いずれ跡形もなく滅び去ることでしょう。
 

re:血統理論に科学的根拠なし

 投稿者:いえもり  投稿日:2013年 9月19日(木)22時37分19秒
  >統一教会で言うところの血統とは、紛れもなく「生物学的次元」の血統のことであると理解します。

いえいえ、これもまた違います。

ミューズさんは、原罪なるものが、遺伝子配列の中にあると思っていらっしゃるのですか?

原罪のある人間というのは遺伝子配列の何番目から何番目までがこうで、原罪のない人間とは違うのだ、などと本気で思っていらっしゃるのでしょうか?


 

血統理論に科学的根拠なし

 投稿者:ミューズ  投稿日:2013年 9月19日(木)18時53分49秒
  >統一教会で言う血統は、精神的文化的なものではありません。
精神的文化的なものは遺伝することがありませんが、統一教会で言う血統は遺伝するものです。

了解しました。統一教会で言うところの血統とは、紛れもなく「生物学的次元」の血統のことであると理解します。つまり、愛を中心とした「父母から子女への生命の連結」こそが血統にほかならない。非常にすっきりとした定義です。

ちなみに、文氏のみ言にも、「皆さんが父母から受け継いだ命は、父の精子と母の卵子を受け継いだところから出発したのです。その卵子と精子が一つとなったところに、愛によって根が生まれて発生したのが、皆さんの子女です」(2007年3月号「ファミリー」7頁)とあります。

>人間は神によって創造されたものであり、DNAの遺伝情報はもともと神によって創造されたものです。
ミューズさんがおっしゃるように神も天使長も遺伝情報(DNA)を持たないとしたら、人間の遺伝情報はどうやって出現したと言えますか?

確かに、人間の遺伝情報は神によって創造されたことになります。しかしながら、それはあくまでも、神が創造主として人間の遺伝情報を”作り出した”だけ、すなわち、人間の遺伝情報の根源(原因)が神にあるということだけであって、何も神自身が、人間の遺伝情報”それ自体の持ち主”であることを意味しません。さらに広く言えば、「神は人間を含む宇宙万物の根源(究極の原因)ではあるが、決して宇宙万物それ自体ではない」ということです。当然と言えば当然の事です。したがって、神が人間自身ではない以上、”人間に固有の遺伝情報”を持っているはずがありません。もちろん、天使長も神と同様、人間の遺伝情報を持ち得ません。

そして、上記の通り、統一教会で言うところの血統は「生物学的血統」であることから、神も天使長も(人間の遺伝情報を持たないがゆえに)人間に血統を残すことなどできないのです。よって、「神の血統」だとか「サタンの血統」なる概念は認める余地がなく、単なる架空の概念に過ぎないといえるのです。

>遺伝情報がどのように伝わるかについて、地球上のいかなる科学者もいまだ解明出来ていません。
ですから、ミューズさんのおっしゃっている内容は憶測に過ぎないと思います。

いいえ、遺伝情報は、「遺伝現象によって、親から子に伝わる情報」です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BA%E4%BC%9D%E6%83%85%E5%A0%B1

生物学的に親子関係がないのに遺伝情報が伝わるはずがないのです。天使長とエバ、それから、エバとアダムが生物学的な親子関係にありますか?ありません。よって、性関係を通じて、天使長からエバ、そしてアダムへと遺伝情報(血統)が受け継がれていく根拠は何もないのです。よって、「性関係によって遺伝情報が伝わるという考え方」こそが、憶測そのものであるといえます。

文氏のみ言にも「愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません。」(訪韓修練会 御言葉集 12ページ)とあるとおりです。

それではなぜ、統一教会の教義(堕落論と血統転換理論)に「血統」および「血統転換」なる概念が存在するのか?

先の箇条書きの書き込みでも触れていますが、感応遺伝(テレゴニー)の思想があるからです。テレゴニーとは、「ある雌が以前ある雄と交わり、その後その雌と別の雄との間に生んだ子に、前の雄の特徴が遺伝するという説、理論」です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%8B%E3%83%BC

そして、統一原理の堕落論には、このテレゴニーの理論を根拠に、「エバが天使長と性関係を結んだため、その後、アダムとの間に生まれた子にも、天使長(サタン)の性質が血統的に受け継がれることになった」などという言説が受け継がれることになったのです。(より正確には、李龍道、黄国柱らに端を発する韓国キリスト教神秘神霊集団の思想を文鮮明教祖が受け継ぎ、劉孝元氏によって原理講論の堕落論としてまとめられた)

しかしながら、上のWikipediaにも書かれている通り、テレゴニーは、現在の遺伝学では明確に否定されています。つまり、科学的根拠が全くない単なる迷信に過ぎなかったということです。

ところで、よくご存じの通り、原理講論の総序には、次のように書かれています。

「さて、宗教が、このような運命の道をたどるようになったのには、更にもう一つの重要な原因があるのである。それは、科学の発達に伴い、人間の知性が最高度に啓発された結果、現代人はすべての事物に対して科学的な認識を必要とするようになったにもかかわらず、旧態依然たる宗教の教理には、科学的な解明が全面的に欠如しているという事実である。」

「人間は、あくまでも論理的であると同時に、実証的なもの、すなわち科学的なものでなければ、真に認識するということはできないので、結局、宗教も科学的なものでない限り、よく知ってそれから信ずるということが不可能となり、宗教の目的を達成することはできないという結論に到達するのである。このように、内的真理にも論証的な解明が必要となり、宗教は長い歴史の期間を通じて、それ自体が科学的に解明できる時代を追求してきたのである。」

すなわち、統一原理は、従来の宗教とは根本的に異なり、科学的な解明を何よりも重視することを謳っているのです。そうであるならば、いまや非科学的な迷信であることが明白なテレゴニーに由来する堕落論、血統転換理論などは、科学的な研究成果と矛盾する宗教理論であるがゆえに、当然廃棄されるべきではないでしょうか?

堕落論が否定された以上、復帰原理、摂理的同時性、再臨論などは当然、存在価値を失います。よって、イエスの「メシア性」、文鮮明、韓鶴子両氏の「真の父母性」および祝福結婚の価値なども、悉く否定されることになるのです。結局のところ、人格的創造神を認める有神論思想として”目下のところ”最も説得力のある「創造原理(および復活論と予定論の一部)」のみが残ることになろうかと思います。
 

re:「血統転換理論」の矛盾

 投稿者:いえもり  投稿日:2013年 9月19日(木)16時42分8秒
  ミューズさん、ご投稿ありがとうございます。

ご投稿内容について、疑問に思うところがいくつかありますので、そのうち3つを投稿させていただきます。


>2)統一教会で言うところの「神の血統」とか「サタンの血統」は、精神的文化的血統を意味する。


統一教会で言う血統は、精神的文化的なものではありません。
精神的文化的なものは遺伝することがありませんが、統一教会で言う血統は遺伝するものです。

「人間の原罪は、あくまで人間の祖先から遺伝されてきたものであって、食物が原罪を遺伝するその要因とはなり得ないのである。」(原理講論 第2章堕落論)



>なぜなら、神も天使長も遺伝情報(DNA)を持たないため、生物的血統を残すことはできないからである。

人間は神によって創造されたものであり、DNAの遺伝情報はもともと神によって創造されたものです。
ミューズさんがおっしゃるように神も天使長も遺伝情報(DNA)を持たないとしたら、人間の遺伝情報はどうやって出現したと言えますか?

「神とはいったい」に掲載されている内容をよく吟味してからお答えくださいますようお願いいたします。
http://homepage3.nifty.com/mgo/



>3)天使長がエバと性関係を結んだとしても、天使長からエバに精神的要素が遺伝情報として伝わることはあり得ない。もちろん、その後、エバがアダムと性関係を結んだとしても、エバからアダムに遺伝情報が伝わることもあり得ない。なぜなら、遺伝情報は、夫婦となった両親から子供に対してのみ受け継がれるべき性質のものだからである。


「精神的要素」とおっしゃっていることについては、先ほど申し上げたとおり、統一教会で言っている血統とは精神的要素ではありません。

遺伝情報がどのように伝わるかについて、
地球上のいかなる科学者もいまだ解明出来ていません。

ですから、ミューズさんのおっしゃっている内容は憶測に過ぎないと思います。

例えば、DNAワクチンを投与すると免疫が作成されますが、性関係においてもこれと同じようなことが起きているかもしれないのではないでしょうか。

 

「血統転換理論」の矛盾

 投稿者:ミューズ  投稿日:2013年 9月19日(木)14時46分55秒
  統一教会で言うところの「血統」および「血統転換」の概念について考察します。

こちらの一連のブログ記事(いずれもhitosato氏のブログ)の中で、堕落論および血統転換理論の問題点(自己矛盾性)が指摘されています。

http://blogs.yahoo.co.jp/yondewanaranai/9977350.html
http://blogs.yahoo.co.jp/yondewanaranai/9982230.html
http://blogs.yahoo.co.jp/yondewanaranai/9994220.html


hitosato氏の論法をベースに私見を若干補足した内容を箇条書きにすると、以下のようになります。

1)統一教会で言うところの血統には、「生物的血統」と「精神的文化的血統」という2つの概念が含まれる。

2)統一教会で言うところの「神の血統」とか「サタンの血統」は、精神的文化的血統を意味する。なぜなら、神も天使長も遺伝情報(DNA)を持たないため、生物的血統を残すことはできないからである。

3)天使長がエバと性関係を結んだとしても、天使長からエバに精神的要素が遺伝情報として伝わることはあり得ない。もちろん、その後、エバがアダムと性関係を結んだとしても、エバからアダムに遺伝情報が伝わることもあり得ない。なぜなら、遺伝情報は、夫婦となった両親から子供に対してのみ受け継がれるべき性質のものだからである。

4)感応遺伝(テレゴニー)は前近代的な非科学的迷信に過ぎず、よって、天使長(サタン)の精神的要素が、アダムとエバの子孫に受け継がれるということはあり得ない。したがって、生物的意味においても、また、精神的文化的意味においても、「サタンの血統」なる概念を認める余地はない。

5)血統を「生物的血統」と捉える限り、遺伝学的に見て「血統転換」は不可能である。但し、血統を「精神的文化的血統」と捉える限りにおいては、血統転換の概念を認める余地がある。(但し、その場合は、むしろ「宗教的回心」と称すべきであって、あえて、血統転換なる用語を用いる必要はない)

6)血統転換を「精神的文化的血統転換(心情転換)」と捉えた場合、統一教会における血統転換の儀式(三日行事)は不要である。なぜなら、三日行事を行っても”心情転換ないし回心”(サタンの子から神の子となったという自覚)が起きるとは限らず、逆に、三日行事を行わなくとも心情転換ないし回心は起こり得るからである。すなわち、三日行事と心情転換(回心)とは全く無関係である。

7)統一教会において、性行為を伴う血統転換の儀式(三日行事)が行われてきた根拠は、かつて行われた文鮮明教祖による「血分け行為」にある。そして、サタン側から神側への「生物的血統転換」の必要性を説く「血分け理論」は、文教祖と女性信者達との性関係(血分け行為)を正当化するための詭弁に過ぎない。

8)しかし、前述の通り、生物的血統転換は遺伝学的に見て不可能であるため、血統転換理論は自己矛盾そのものであり、よって、三日行事による血統転換を認める根拠は全く存在しない。

9)したがって、自己矛盾そのものである血統転換理論に基づき、宗教的・神学的に全く無意味な祝福行事を執り行ってきた文鮮明、韓鶴子両氏が、「人類の真の父母」であることなど金輪際あり得ない。
 

re:素直

 投稿者:いえもり  投稿日:2012年12月13日(木)13時00分12秒
  keigoさん、ご投稿ありがとうございます。

ほんとにそうですね。

神様は、すべての人の親であり、いつも共にいらっしゃいますが、神様と心情交流する一番の方法は素直になることだと思います。

 

素直

 投稿者:keigoメール  投稿日:2012年12月11日(火)12時21分59秒
  本当の神様とはどこにいけば巡り合えるでしょうか?

素直になると本当の神様に自然に行きつくと思われます。

素直になり、自分を信じていくと、黒住教->天理教->大本->救世教->世界真光文明教団に行く気がします。

これらの教団は、人を通して作られたのではなく、「神様が直接つくられた教団だから」だと思います。

私は素直でなかったので、多くの教団を行き来しましたが、結局上記の教団に導かれました。

ここがすべてだと思っていません。ここにすべてに通じるものがあると実感しているだけです。

大切なのは、納得することより、実践によって体得し、結果として自分が素直になっていけるかだと思います。

気づき、お詫びし、感謝し、謙虚になり、そして最後に素直になると、自分が本来行くべきところにたどり着くと思います。
 

re:人の権利

 投稿者:いえもり  投稿日:2012年 4月 3日(火)10時27分2秒
  さみんくすさん、ご投稿ありがとうございます。

ただ、さみんくすさんは、何か誤解をされています。
何を見て、このようにおっしゃっているのですか?


>堕落した子が悪い?馬鹿を言うな。

「堕落した子が悪い」とは言っていないですよ。


>堕落した子であろうと無かろうと、努力をする権利はある筈だ。

おっしゃるとおりだと思います。


>堕落した子を助けることが重要だろ?

その通りです。私もそう思います。

 

人の権利

 投稿者:さみんくす  投稿日:2012年 4月 3日(火)09時51分49秒
  堕落した子が悪い?馬鹿を言うな。人は、皆平等の筈一体何故そんな偏見を持つ必要がある。堕落した子であろうと無かろうと、努力をする権利はある筈だ。堕落した子を助けることが重要だろ?それに、勧誘するぐらいなら、別のサイトでやれ。  

心や神

 投稿者:仁人  投稿日:2011年 6月30日(木)23時29分14秒
  科学的に心や神を解明するというときに心や神を現象として分析し、パターンを特定するということになると思います。そしてなるべく単純な要素を言い当てる・・例えばプラスとマイナスとか、このような特性があるとか・・・・そのように考えても神様の特徴は愛としか言い表せない・・とします。愛は基本は単純でも多様性を持っているのでこれを科学と言っていいのか?という問題になります。でも・・科学って結局は最終的な要素はあるとしか言えないのですよね。そのようにしてあるとしか言えない神様が解明されるのもありではないかと私は思います。  

疑問です。

 投稿者:orz  投稿日:2011年 5月29日(日)16時41分17秒
  人間は得体の知れないものを恐れます。
だからこそ、いままでに化学や数学などの学問が発達してきました。
でも、その時代の学問じゃ解明しきれなかった現象があります。
自分はそんな解明しきれなかった現象が
“オカルト”とゆう分類になっていて必ずしも解明できないなんてことはないんじゃないかなと思います。
現に、昔は霊魂とされた火の玉だって、正体はプラズマだと解明されてますし。
だから、きっと神についてだって時代が進むにつれて科学的観点で解明できるようになるんじゃないですかね。
 

re:神は存在するか

 投稿者:いえもりメール  投稿日:2010年 2月16日(火)21時59分35秒
  catbird様

ご投稿、どうもありがとうございます。
まさにおっしゃる通りだと思います。

自分という存在が絶対的存在として存在する。
その理由・原因は、絶対者・神様にしかないということですね。

仏教では、絶対者のことを法身仏といい、この被造世界のことを法界と言いますね。

http://www.c-player.com/ac55492/

 

神は存在するか

 投稿者:catbirdメール  投稿日:2010年 2月13日(土)15時52分4秒
  神は存在するか。では神とは何でしょうか。その問いに答えるには、まず私とは誰なのか考えなくてはなりません。大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳をとりだしたらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。
赤いとか熱いとか感じている存在が私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界(外界と呼ぶ)には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。味はどうでしょう。同様に味もありません。臭いはどうでしょうか。臭いも外界にはありません。熱い冷たいと言う事は、在るでしょうか。物質が振動しているだけです。絶対0度では、全ての振動が止まります。温度が高くなるに従って、物質の振動が大きくなって行くだけです。熱い冷たいもありません。全て心が作り出したものです。次々に、心が作り出している感じを捨てて行きます。最後に残るのは、この範囲にあるものが存在している、そして時間が経過しここに移動したと言う、時と空間の直感だけです。
しかし、貴方が感じている時空間も、決して心の外にある時空間を、直接感じている訳ではありません。心が作り出した時空間を、感じているのです。心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。仏教では色即是空と言います。心が作り出したものは、現れたり消えたりします。従って、是と言った実態はありません。つまり、有でも無でも無く空なのです。耳から聞こえる音も、鼻から匂う匂いも、舌の味も、肌から受ける触感も5感は全て空です。5感=色、概念=受、感情=想、意思=行、認識=識からなる心の働き全ては、現れたり消えたりし、定まった実態はありません。五蘊皆空です。ですから、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。
この世の中には、物質でないものも存在しています。もし物質だけであったら、どうでしょう。ロボットは物質だけで出来ています。科学が発達し高性能なロボットが出来たら、人間と同じ反応をするでしょう。世間話をして冗談を言うでしょう。やかんに触れると熱いと言うでしょう。しかし、私たちが感じている熱さを、感じている訳ではありません。何かを感じていると言う事は、人間は物質だけから出来ているのでは無いことを証明しています。
心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。
花を見たとします。眼が光の刺激を受けて、神経の中を信号が流れ、脳に到達します。脳がその信号を受けて、脳の中の物質の一部が花に対応する動きをします。私は、その花に対応する物質の動きを感じて、花を感じるのです。それは丁度、カメラが光の刺激を受けて、ケーブル及び電波で信号が流れ、テレビに到達し、その信号をテレビが受けて絵や音を作りだし、それを私が見ているのと同じです。
テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。では、脳と言う物質が私なのでしょうか。花を感じているのが、私なのです。脳と言う物質そのものが、花を感じているのでしょうか。もしそうなら、そこらに転がっている石も何かを感じているはすです。本当に、陽子と中性子の周りを電子が回っている存在が、何かを感じているのでしょうか。赤いとか熱いとか言う感覚は、決して物質ではなく、精神的な存在です。その様な精神的なものを感じている私は、物質ではなく精神的な存在なのです。決して、石や木が何かを感じている訳ではないのです。赤い熱いと言う感じは、私の一部です。私は、精神的な感じの集まりなのです。
テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。
同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。
仏教ではこの事を、不生不滅・不垢不浄・不増不減と言っています。私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。
死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。私自身は、死んだ後も何ら変わらずに存在しています。ただ、信号を送る脳が無くなったので、何も感じていないだけです。そして、新しい脳が信号を送り出したとき、私は又前と同じ様に感じるでしょう。ただし、人間の脳とは限りません。
心の中に作り出された世界は、私の一部です。心の中の世界に居る一人の私が、私なのではありません。その1人は、宗教上小さい私とかアートマンとか呼ばれています。心の中の世界に居る私の敵も、私の一部です。ですから、キリストは汝の敵を愛せよと言えたのです。
人間の脳より遥かに高性能な脳が私に刺激を送る様になれば、もっと豊かな世界が心の中に広がるでしょう。そう言う意味で、現在私が感じている世界は、私のほんの一部にしか過ぎないのです。私に限界はありません。脳と言う物質がどんどん進化して全知全能な物質になり、私に信号を与え出したら、私は全知全能になるはずです。本来の私は、全ての感じの集まりなのです。全てなのですから、これ以上の精神的な存在はありません。この私を大きい私とかブラフマンとかと呼ばれています。
宗教の目的は、小さい私の誤解を解いて、大きい私を自覚することにあります。それが、悟りです。仏に成るのではない貴方が仏なのだと言っています。天上天下唯我独尊です。神の子です。ブラフマンです。貴方は、自分の存在を疑えますか。デカルトは、全ての事を疑って見ました。しかし、考えている自分の存在だけは疑えませんでした。これが神は存在するかの答えです。
 

re:神とは・・・

 投稿者:いえもりメール  投稿日:2009年 7月31日(金)09時31分31秒
  信仰者さん、ご投稿ありがとうございます。

とても篤い信仰を持っていらっしゃるんですね。

物理的なものも神様がおつくりになったものです。
ですから物理的な法則を尊重することも、神様を理解する上で、必要不可欠のことだと思います。

神様は超越したお方であるとともに、世界一の数理科学者でもあると思います。
 

神とは・・・

 投稿者:信仰者  投稿日:2009年 7月29日(水)04時57分4秒
  神は二性性相の中和的主体とかではありません。
この宇宙は聖書では神が創造したものでそのような物理的な存
在ではなく「在って在るもの」「最初であり最後」の方であり
ます。
なんかと物理的なことに結び付けて囚われると強い物理的な力
に飲み込まれて滅んでしまいます。それがサタンの力なのです
。共産主義、統一原理、イスラム原理というものは何かと理論
理屈で物理的な法則が垣間見えます。
信仰は物理的力を超越したものでありその上に成り立っていま
す。
イエス様は「海の上を歩かれたり」「死後蘇り昇天したり」と
いったように物理的力では考えられない事をされています。そ
れが信仰の力なのです。
何かと頭で考えるのが得意なのが朝鮮の人のようですが理論理
屈はハングルと言う言葉でも伺えますが、理論理屈は物理の世
界の話です。理論理屈の物理の世界を求めると核兵器とかで統
制しようとして滅んでしまいます。
エデンの園を守っている「炎の剣」は宇宙の物理的力を言って
いて炎で攻撃するとそれが回ってきて攻撃を受けるのです。
イエス様が弟子が剣を持って切りつけようとしたときに「まだ
分からないのか?」といったのはそのような理由からです。
統一教の人が当方の教義を否定したりするので一言言わせて貰
います。
 

re:愛について

 投稿者:いえもりメール  投稿日:2009年 6月 6日(土)12時10分11秒
  これはとても難しいご質問ですね。

といいますのは、のぶえさんがお相手を疑ってしまうようにはさせたくないし、かといって、お答えしないわけにもいきません。

お二人で本然の愛をつちかっていってくださることを願いつつ、お答えしたいと思います。

偽りの愛は、自分への利益を優先して接する愛です。
たとえば「美人だからつきあおう、世の中で一番美人の人を自分は探しているんだ。」というのが動機ならば、これは偽りの愛です。もっと美人な人が現れればその愛は消えていってしまいます。

本然の愛は、与えたいという純粋な気持ちです。「あなたを幸せにしてあげたい。」という気持ちは本然の愛です。

でも、本然の愛と偽りの愛が同居している場合もありますね。ほとんどのカップルがそうかもしれません。
ですから、偽りの愛の気持ちに打ち勝ち、本然の愛をはぐくんでいくことが、どんなカップルにも必要なことだと思います。
 

愛について

 投稿者:のぶえメール  投稿日:2009年 6月 3日(水)22時54分55秒
  こんばんは。
今お付き合いしている彼との結婚を考えております者です。
わたくし頭がよくないので何を言おうとしているか理解に苦しむかもしれませんが質問させてください。
本然の愛と偽りの愛、今自分達の愛がどちらなのか知るにはどうしたらわかるのでしょうか?
 

re:質問です

 投稿者:いえもりメール  投稿日:2009年 5月23日(土)15時00分38秒
編集済
  不さん、ご質問、ありがとうございます。
世の中には不幸が多いので、どうして神様はこんなに不幸な世の中をおつくりになったのだろうか、と考えがちです。

しかし、神様は、一切不幸はおつくりになりませんでした。

世の中を不幸なものにしてしまったのは人間です。
人間は、始祖アダムとエバが未成年期に不倫して、神様の祝福を受けないまま堕落した状態で広がり、今日まで来ました。

神様の願いとは裏腹に、堕落した人間が作った社会は自己中心的なものでした。

働くのは何のため?自分が生きるため、それにはお金を稼ぐ必要がある。自分を中心に生きていくしかない・・・。

これは神様の願いとはまるっきり反対の様相です。

神様は、どの木の実からも取って食べてよろしい、とおっしゃって、人類が生きていくのに十分な食べ物や環境を与えてくださっています。


才能を生まれ持った人は確かにいます。
それが今の世の中では不平等に見えます。世の中が神様の願いとは異なっているからです。

神様が最も願ったものは何かというと、愛を与え合う姿です。
才能を持った人は才能に恵まれなかった人を助けられるからこそ、そこに愛が生じるのであり、その愛の完成こそが神様の願いだったのです。

ですから、才能を持った人がその才能を独り占めして世の中をうまく生きていくようなのは、根本的に間違ったところがあるのです。
 

質問です

 投稿者:  投稿日:2009年 5月19日(火)21時58分4秒
  神様は何故幸福と同時に
不幸も与えたんでしょうか?それとも不幸は悪魔の仕業なんですか?

生まれ持った才能のある人は神様に愛されているからなんですか?


私は不思議に思います。
 

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