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不倫の愛のテーマ

 投稿者:ミューズ  投稿日:2007年12月 8日(土)21時06分7秒
  >不倫というのは、夫婦関係がありながら別の異性にわき目をふることを言うので、この物語が扱っているのとはちょっと違うように思います。男女の愛と男女の不倫の愛とは明確に区別される必要があると思いますね。

これは、あくまでも不倫の愛に対する従来の常識的な考え方です。この意味での不倫は家庭のみならず国家社会を崩壊させる危険性を持っているために、程度の差こそあれ、どの社会でも道徳的非難に値する行為とされてきたわけです。しかしながら、統一原理の立場では、神を中心としない男女の愛、すなわち自由恋愛は神の創造目的に反する偽りの愛であり、まさしく不倫の愛というべきものです。

また、従来の価値観では男女の愛をテーマとした芸術音楽作品という理由だけで忌避されることはありませんが、統一思想の芸術論の立場では明らかに神の創造目的に反する音楽であるということになると思います。ポピュラー音楽もまた然りです。

もちろん、男女の愛をテーマとする従来の作品(例えばヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」)であっても今後も第1級の芸術的価値を失うことはありませんが、来るべき天一国ではこのような(神の創造目的に反する)テーマの作品が作られることはないということです。
 

re:re:神の創造目的と芸術的創作活動

 投稿者:いえもり  投稿日:2007年12月 8日(土)11時42分2秒
  > それは端的に言うと、男女の不倫の愛をモチーフにした音楽のことを指すのではないでしょうか?

> 例えば、ドイツ・ロマン派オペラ最大の巨匠リヒャルト・ヴァーグナーは、有名な「トリスタンとイゾルデ」という作品を残していますが、このオペラのテーマとしては「姦通と不道徳」の物語です。

「トリスタンとイゾルデ」で検索して調べてみました。

映画『トリスタンとイゾルデ』公式サイト
http://movies.foxjapan.com/tristanandisolde/

これを見ますと、トリスタンとイゾルデの愛の物語は純愛の物語であるようにも思います。
不倫というのは、夫婦関係がありながら別の異性にわき目をふることを言うので、この物語が扱っているのとはちょっと違うように思います。

しかし、第1幕に出てくる魔術に通じたイゾルデの母が教えた薬が媚薬で、2人が突然惹かれ合い、愛の法悦に浸ったというのは、肉欲によって2人が関係を結んでしまったことを意味しており、確かに神様の願いとは違っていますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%82%BE%E3%83%AB%E3%83%87_%28%E6%A5%BD%E5%8A%87%29

それでもこの問題についても流布本系と騎士道本系で違った解釈があるようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%82%BE%E3%83%AB%E3%83%87

ですから、一概にこの物語は不倫の物語だとは言えないですね。


> ヴァーグナー以外のオペラ、さらにオペラ以外の歌曲にも男女の不倫の愛をテーマにしたものが数多くあります。
> もちろん、そのようなテーマの作品だとしても、脚本家や詩人、作曲家が必ずしもそのテーマを肯定的に扱っているわけではない(すなわち批判的に扱っている場合もある)と思いますが。

先ほど言ったように、わき目を振るような不倫の愛は、神様に悲しみを与えると同時に、自分や家庭をも崩壊させてしまうものですから、これを肯定するような作品は、無価値であり、有害だとすらいえるでしょう。

また、不倫を批判的に扱っていたとしても、不倫をテーマにすること自体、神様に悲しみを与えるのではないでしょうか。


> いわゆるクラシック音楽のみならず様々なジャンルのポピュラー音楽(いわゆる商業音楽)にも男女の愛をテーマにしたものが数え切れないほどあり、もし、現在、これらの楽曲を禁止したら音楽業界は成り立たなくなってしまうのではないでしょうか。

男女の愛と男女の不倫の愛とは明確に区別される必要があると思いますね。
 

re:神の創造目的と芸術的創作活動

 投稿者:ミューズ  投稿日:2007年12月 5日(水)21時27分21秒
  >「神様の創造目的に反する価値観」とは具体的にはどういうことをおっしゃっているのでしょうか?

それは端的に言うと、男女の不倫の愛をモチーフにした音楽のことを指すのではないでしょうか?

例えば、ドイツ・ロマン派オペラ最大の巨匠リヒャルト・ヴァーグナーは、有名な「トリスタンとイゾルデ」という作品を残していますが、このオペラのテーマとしては「姦通と不道徳」の物語です。しかも、ヴァーグナーはそれを究極の愛の物語へと昇華させており、不倫の愛(それも純粋な精神的な愛だけではなく、肉体を伴った性愛)の果てには死しかないという価値観に基づいています。

また、ヴァーグナー以外のオペラ、さらにオペラ以外の歌曲にも男女の不倫の愛をテーマにしたものが数多くあります。もちろん、そのようなテーマの作品だとしても、脚本家や詩人、作曲家が必ずしもそのテーマを肯定的に扱っているわけではない(すなわち批判的に扱っている場合もある)と思いますが。

さらに、いわゆるクラシック音楽のみならず様々なジャンルのポピュラー音楽(いわゆる商業音楽)にも男女の愛をテーマにしたものが数え切れないほどあり、もし、現在、これらの楽曲を禁止したら音楽業界は成り立たなくなってしまうのではないでしょうか。
 

re:神の創造目的と芸術的創作活動

 投稿者:たろう  投稿日:2007年12月 5日(水)20時45分27秒
  >統一思想によれば、人間を含めた有形無形あらゆるものの存在目的ないし存在価値は
>絶対者である神様との相対的関係によって生じるものとされています。
>すなわち、絶対者の創造目的こそがあらゆる価値の根拠となっているわけであり・・・

少し違うと思います。

 ある個性体の創造本然の価値は、それ自体の内に絶対的なものとして内在するものでなく、
 その個性体が、神の創造理想を中心として、
 ある対象として存在する目的と、それに対する人間主体の創造本然の価値追求欲が
 相対的関係を結ぶことによって決定される。   (講論より)

つまり創造本然の価値決定は、何を中心として相対的関係を結んだか、が問題となってくるのだと思います。

芸術的創作活動も同じではないでしょうか
 

re:神の創造目的と芸術的創作活動

 投稿者:いえもり  投稿日:2007年12月 4日(火)14時55分25秒
  > 統一思想によれば、人間を含めた有形無形あらゆるものの存在目的ないし存在価値は絶対者である神様との相対的関係によって生じるものとされています。すなわち、絶対者の創造目的こそがあらゆる価値の根拠となっているわけであり、当然、美的価値を追求しあるいは実現する芸術的創作活動もまた絶対者の創造目的に合致するものでなければなりません。それでは具体的にどのような芸術的創作活動ないし芸術作品が神の創造目的に合致するものといえるのでしょうか?

芸術に用いる万物はすべて絶対者がお創りになったものであり、創造本然の美を持っています。
この創造本然の美をより引き出すものが神の創造目的に合致すると言えるのではないでしょうか。
また逆に、この創造本然の美を台無しにしてしまうことは神の創造目的に合致していないと言えると思います。


> あるいは、逆に創造目的に合致しない創作活動ないし作品があるとすれば、それはどのようなものでしょうか?

具体的にこれとは言いがたいですが、神様の創造理想を破壊するようなものがこれに当てはまると思います。


> このように音楽という芸術はもともと抽象性が高い上に、20世紀以降、音楽様式もますます多様化し、さらに古来からある各地域の民俗音楽も全く異なった個性を持っています。いわば芸術(特に音楽)に関しては、時代によりまた地域により、さらに創作者により明らかに多種多様な価値観のもとに創作活動が行われてきたことになります。
>
> 冒頭に述べたように、芸術的創作活動といえども、究極的には絶対者の創造目的に合致するものでなければならない(いわば共通の芸術的価値観)わけですが、個別の作品レベルでは創作者の個性が反映された多種多様性がなくてはなりません(そうでなければ、面白みのないコピー作品ばかりになってしまう)。それでは、この共通の芸術的価値観と多様な芸術的創作活動(ないし芸術作品)とのバランスはいかにして保たれるのでしょうか?


調和とかハーモニーというのは、2つのものが共鳴しあって、1つのときよりもより素晴らしく、神の創造のみわざを世に出現させます。
絶対者を中心にして、様々な方向における陽陰の二性性相の相対的関係によって、多様性も生まれてきます。
このような観点に立ったときに、この共通の芸術的価値観と多様な芸術的創作活動もバランスを保つことが出来ると思います。

しかし、この観点に立たない創作活動は、芸術に用いる題材の存在理由もわからず、調和の原点もわからないので、創造本然の価値を発揮しにくくなってしまうでしょう。


> とりわけ音楽(特に器楽音楽)のような抽象性の高い芸術の場合、個々の作品が上記の価値観に合致するものであるかどうかを客観的に判定できるものなのでしょうか?

音というものはそもそも神様がお創りになったもので、音楽においてはこの調和の素晴らしさを堪能することになります。
なので、器楽音楽においては、基本的に、上記の価値観を逸脱しにくいのではないでしょうか。


> また、今日、聴かれている音楽(芸術音楽、娯楽音楽を問わず)の中で、これは神の創造目的に反する価値観の下に作られた(あるいは楽曲自体が上記価値観に反する)といえるものがあるでしょうか?

どうでしょうか?
神様の創造目的を知らない人が作ったとしても、音自体が神様の創ったものですから、
神様の創造目的を否定することは出来ません。

「神様の創造目的に反する価値観」とは具体的にはどういうことをおっしゃっているのでしょうか?
 

神の創造目的と芸術的創作活動

 投稿者:ミューズ  投稿日:2007年12月 2日(日)10時52分51秒
  統一思想によれば、人間を含めた有形無形あらゆるものの存在目的ないし存在価値は絶対者である神様との相対的関係によって生じるものとされています。すなわち、絶対者の創造目的こそがあらゆる価値の根拠となっているわけであり、当然、美的価値を追求しあるいは実現する芸術的創作活動もまた絶対者の創造目的に合致するものでなければなりません。それでは具体的にどのような芸術的創作活動ないし芸術作品が神の創造目的に合致するものといえるのでしょうか?あるいは、逆に創造目的に合致しない創作活動ないし作品があるとすれば、それはどのようなものでしょうか?

ところで、芸術には文学、美術、音楽、演劇、映画等様々な分野がありますが、諸芸術の中で音楽とりわけ器楽音楽は具象的な世界を超越した世界を表現することができます。それゆえ、音楽(とりわけ器楽曲などの絶対音楽)は、その漠たる抽象性ゆえに無限に想像力の翼をはばたかせることができ、また、音楽が表現するところの個人の最も深い内面感情が宇宙の鳴動と一体化するようないわば擬似宗教的な陶酔感(エクスタシー)をもたらす芸術であるともいえます。

上記のように音楽は本来、抽象性の高い芸術であり、しかもベートーヴェン以降の19世紀ロマン派(特にドイツ・ロマン派)の巨匠は後世に残るような記念碑的な作品の創作をめざして活動を行ってきました。それゆえ、19世紀ロマン派の巨匠(シューベルト、シューマン、ブラームス、ヴァーグナー、ブルックナー、マーラー等)の個々の作品の個性は際立ったものになっています。その後、20世紀に入ると、印象派音楽や無調音楽、十二音音楽の出現にみられるように、基本的な音楽技法そのものが多様化し、さらに第二次大戦後今日に至るまで、芸術音楽の分野は音楽様式の面で実に混沌とした状況にあります。また、周知のとおり、20世紀はアングロ・サクソン系の様々なポピュラー音楽(ジャズやロック音楽、ポップス、映画音楽、ミュージカル等)が隆盛した時代でもあります。(また、中国、インド、日本等世界各地には古来から伝統的な民俗音楽があります)

このように音楽という芸術はもともと抽象性が高い上に、20世紀以降、音楽様式もますます多様化し、さらに古来からある各地域の民俗音楽も全く異なった個性を持っています。いわば芸術(特に音楽)に関しては、時代によりまた地域により、さらに創作者により明らかに多種多様な価値観のもとに創作活動が行われてきたことになります。

冒頭に述べたように、芸術的創作活動といえども、究極的には絶対者の創造目的に合致するものでなければならない(いわば共通の芸術的価値観)わけですが、個別の作品レベルでは創作者の個性が反映された多種多様性がなくてはなりません(そうでなければ、面白みのないコピー作品ばかりになってしまう)。それでは、この共通の芸術的価値観と多様な芸術的創作活動(ないし芸術作品)とのバランスはいかにして保たれるのでしょうか?

とりわけ音楽(特に器楽音楽)のような抽象性の高い芸術の場合、個々の作品が上記の価値観に合致するものであるかどうかを客観的に判定できるものなのでしょうか?また、今日、聴かれている音楽(芸術音楽、娯楽音楽を問わず)の中で、これは神の創造目的に反する価値観の下に作られた(あるいは楽曲自体が上記価値観に反する)といえるものがあるでしょうか?
 

はじめまして

 投稿者:かのん  投稿日:2007年12月 1日(土)02時22分50秒
  いろんな苦しみから ここのサイトにたどり着きました。
神は自然を創造し 動物を創造し 人間を創造されました。あらゆる物の中に真実があり 生きるヒントが隠されていると思います 自然を見ては学び 動物も見ては学び 周りの人々を見て学ぶ あらゆるところに神は私たちが幸福に生きれる物すべてを用意してくださいました。しかし 肉体を持って生きるあいだは それを忘れ 真実を忘れ 自分のために生きる人が増えてしまったが故に 争いが絶えずに やまないのだと思います  しかし 確かに神を思い そのために 人々のために生きてらっしゃる方もいらっしゃいます、きっと 皆さんも そういう瞬間があると思います。心から人を思い その人のために 生きる瞬間が 一日になり 一週間になり 一年になり そういう人たちが増えると きっとこの世もかわるでしょうね。神は常に善なる想いです。しかしこの世には 悪もある 神は 悪を消し去ってしまうことも簡単な事ではあるが しかしそれをなさらずに 見守ってくださっている 天国に帰ってくるのをまってくださっている。そこに 人間達に考えるべきところがあるのではないかと思います。神はきっと 自分達の力でこの世を浄化しすばらしい世界にするために いつもいろんなヒントを与え見守ってくださっている存在だと思います。心の持ち方を誤ったり 人間らしい生き方をしていない人 たちを魔法のように助けてくださる 訳ではない。正しい道をもとめれば 必ず 手を差し伸べていただける 見守ってくださる暖かい存在だと私はそう思います
 

re:神様とは

 投稿者:いえもり  投稿日:2007年11月27日(火)16時56分35秒
  考える人様、ご投稿ありがとうございます。

> もし神様が全知全能だったらこの疑問すら生まれてこないと思うし
> アダムとエバの話もサタンもありえませんよね?
> 事前にすべて解決できるでしょうから。

神様が理想とされた世界は心情の世界でした。
愛を分かち合い、互いが理解しあい、助け合い、喜びをともに感じながら生きる世界です。
このような世界を願ったがゆえに、神様は人間に、神様と同じような責任を与え、人間が第2の神様の立場に立つことを願われました。
全知全能な神様ではありますが、創造して願った世界がこのような心情の世界であったがゆえに、アダムとエバとサタンにまつわる問題も生じてしまったのです。


> 生まれてすぐに戦争で焼き殺される子供や難病や飢餓で亡くなる子供たち。
> 何の為に生み出されているのでしょう?
> 神を信じ毎日祈りを続けていたユダヤ人は神に祈りながら大量に虐殺されました。
> 天災で星の数ほどの人間が亡くなっています。

人類は、神様が願った本然の世界を逸脱してしまったがゆえに、様々な矛盾に陥り、多くの人が悲惨な目に合っているのです。


> 本当に神様のご加護が万人にあるのでしょうか?

神様の加護を受けるためには、神様がもともと与えてくださっていた本然の立場を取り戻さなければなりません。
堕落によって失ってしまった本然の立場です。
そうしてこそ、神様が願ったとおりの、人間にとって最も幸福な時代を迎えることができます。


> 微生物・小動物から欲のために戦いを義務づけられた地球です。
> 食欲・性欲・物欲・・・
> 人間と分別されるものが誕生するはるか以前から他のものを食い、縄張りという陣地合戦を
> 繰り広げ、子孫を繁栄させるために雄は同種族でも殺し合いをしてきています。
> だとすると、もし神様が作った世界ならば戦いを義務付ける為に
> 万物を創世したように思えてしまいます。

> 自分は牛肉がすきなのですが、牛は食われるために生み出されて育てられ殺されます。
> 神のご加護の対象はいわゆる人類に限定されているのでしょうか?

この見方は、間違っています。
この見方は、人間が堕落して自己中心的な考えをするようになり、そのような捉え方で見た見方です。
実際はそうではなく、いかなる生物も、他の生物と助け合いながら生きています。
決して、自己中心的には生きていません。
自分を目的として生きるような自己中心的な生き方は論理的に言って不可能です。そのように生物の進化を説いた理論がありますが、これは空想に過ぎません。
殺し合いの果てにあるのは、繁栄ではなく、滅亡です。
助け合うべき相手を殺すことによって、結局自分も死ぬことになります。決して繁栄はしません。

いかなるものも、最初に、助け合うべき相手がいなければ、生きていけません。
助け合うべき相手がもとから存在するということは、自分がそうしたのではなく、神様がそうしてくださったのです。

神様が理想とされたのが、愛を分かち合いながら繁栄する世界だったから、このようになっているのです。


> ひょっとすると世界の根源を作っただけの存在が神様なのかな?
> 考えれば考えるほど解らないことだらけです。
> 何故もう少しマシな世の中にしないのだろう?

まだまだ、ほとんどの人が、神様の願いに立って生きていませんから、そうお感じになるのだと思います。
人間を中心として考える人がほとんどで、それで問題が解決すると思っていますが、
実際は、解決しません。
この世界の中心は人間ではないからです。
この世界の中心が神様であることを考え、この原点から出発しなければ、人類の抱える問題を解決することはできません。これは当然のことです。

「天宙平和連合」がこれを推進している世界で唯一の団体であると思います。
http://www.iifwp-jp.org/
 

神様とは

 投稿者:考える人  投稿日:2007年11月27日(火)08時27分21秒
  はじめまして
「神様って本当にいるのだろうか?」「そもそも神様ってなんだろう?」
と一人で数年考え続けてきて、ふとネットで検索してみてこのHPにたどり着きました。
HPやこの掲示板を読んでみてもまだ解決しないのでカキコしてみました。
宗教によって言っていることが違うのも悩む原因なのです。
「全知全能」であったり「唯一絶対神」であったり「便所にも神はいる」だったり。

宗教というものは同じ目標なり目的なり考え方をもって仲間が集まって
活動するのだから、落ち着くだろうし安らぎにもなるだろうし活力にもなるので
非常に有意義だと思います。
神の名の下に死を恐れない私的軍隊を作ったり商売にしている人もいるでしょうが。
まあ商売に関しては、その間安らぎが得られるならそれも有りだと思います。

ただ、その神さまについてがよく理解できないんです。
もし神様が全知全能だったらこの疑問すら生まれてこないと思うし
アダムとエバの話もサタンもありえませんよね?
事前にすべて解決できるでしょうから。

生まれてすぐに戦争で焼き殺される子供や難病や飢餓で亡くなる子供たち。
何の為に生み出されているのでしょう?
神を信じ毎日祈りを続けていたユダヤ人は神に祈りながら大量に虐殺されました。
天災で星の数ほどの人間が亡くなっています。
本当に神様のご加護が万人にあるのでしょうか?

微生物・小動物から欲のために戦いを義務づけられた地球です。
食欲・性欲・物欲・・・
人間と分別されるものが誕生するはるか以前から他のものを食い、縄張りという陣地合戦を
繰り広げ、子孫を繁栄させるために雄は同種族でも殺し合いをしてきています。
だとすると、もし神様が作った世界ならば戦いを義務付ける為に
万物を創世したように思えてしまいます。

自分は牛肉がすきなのですが、牛は食われるために生み出されて育てられ殺されます。
神のご加護の対象はいわゆる人類に限定されているのでしょうか?

ひょっとすると世界の根源を作っただけの存在が神様なのかな?

考えれば考えるほど解らないことだらけです。

何故もう少しマシな世の中にしないのだろう?
 

re:個人的なお願い

 投稿者:いえもり  投稿日:2007年11月 1日(木)06時34分43秒
  ドイツの木村様

こちらに個人的なメールをお送りいただく場合は、
この投稿の「投稿者:いえもり」のところをクリックしていただくか、
このページの一番下の方にある「管理者へメール」をクリックしてください。

どうぞよろしくお願い致します。
 

re:ご質問

 投稿者:いえもり  投稿日:2007年10月18日(木)10時48分49秒
  ss様へ

確信を持つためには、心を落ち着けて、この世界の真実にあたる部分を見る必要があるでしょう。

そよふく風、地面を這っている小さな虫達。
人間社会のざわめきなど何も知らずに、この自然界は存在しています。

神様が人間を創造されたのは、この自然界の中に創造されたのです。

悠久なる自然と心を一つにしてみれば、神様のみこころを悟ることができるかもしれません。
焦らずにじっくりと考えてみることが必要だと思います。


私たちはなぜ存在しているのだろうかと、考えてみたことがありますか?
じっくり考えていると、ふとそのようなことも考えてみることがあります。

私たちは、自分の意思で生まれてきたのではありません。
気がついたら、この世界に生まれていました。

では、誰が私たちを生かしたのでしょう?
両親でしょうか?
両親だと言っても、両親にとってみれば私たちは授かりものです。
両親に私たちを授けてくださったのはだれでしょう?

それが神様なのですから、私たちの人生は、すべて神様の懐の中にあります。

地球上のどこへいっても、どんな暮らしをしていても、
また、いついかなるときも、
神様の懐の中にあるのが、私たちの人生です。

確信はこのようにしてつかむことができます。
 

神は(おそらく)存在します

 投稿者:tetuzi  投稿日:2007年10月 1日(月)19時43分44秒
  神は(おそらく)存在します。次のURLへ  www.god-21.com  

(無題)

 投稿者:たろう  投稿日:2007年 9月25日(火)08時36分21秒
  >結局、生まれ変わりと言われている現象は、他の霊による現象ということですね。

そのような前提での見解です。

謎はなぞとして残されたままです。


>神様は、人間に魂と肉体を与えてくださいました。
>すべての人に等しく、魂と肉体を一つずつ与えてくださったということですね。

そういう結論にもっていこうとする意図はありません。
 

(無題)

 投稿者:いえもり  投稿日:2007年 9月23日(日)06時39分47秒
  結局、生まれ変わりと言われている現象は、他の霊による現象ということですね。

私もそう思います。

神様は、人間に魂と肉体を与えてくださいました。
すべての人に等しく、魂と肉体を一つずつ与えてくださったということですね。
 

(無題)

 投稿者:たろう  投稿日:2007年 9月22日(土)15時55分58秒
  >生まれ変わりがあるかどうかは、神様の創造目的によります。

またもとに戻ってしまったー。

まっいいです。

しょうがないので、自分で考察してみました。

まず、「生まれ変わりはない」とすれば、その現象は、脳の機能障害が原因だと考えられます。

自他の判別が出来ないようですから。

そして、「生まれ変わりはある」とすれば、原因は霊の乗っ取りではないかと。

それも当人の自覚のない犯行です。

これらはどちらも、「創造目的」があったとしても起こりうるのではないかと推測します。

でも、対処法は違ってきます。前者は医学で、後者は霊媒師でしょう。
 

(無題)

 投稿者:いえもり  投稿日:2007年 9月21日(金)17時55分31秒
  たろうさんが性同一性障害なんてぜんぜん関係ない話を持ってくるから混乱してしまうんですよ。

生まれ変わりがあるかどうかは、神様の創造目的によります。
 

(無題)

 投稿者:たろう  投稿日:2007年 9月21日(金)11時57分1秒
  >父親と母親の間に子供が生まれてくる、ということは、人間には変えられない「天理」です。

>生まれ変わりがあるかどうかも、人間では変えられないことです。

要するにいえもりさんは、”「天理」だから生まれ変わりはない”と言われたいのでしょうか?

うーん。 堂々巡りだ。

それでは、否定できる根拠にはならないのではないでしょうか。



あの世の人がこの世の人の肉体を借りて生活出来る(たぶん、いえもりさんも否定しない事実だと思います)

なのになぜ、今回の生まれ変わり現象は否定できるのか理解できません。

その違いはいったい何なのでしょう?
 

(無題)

 投稿者:いえもり  投稿日:2007年 9月21日(金)07時57分29秒
  ものごとには、人間では変えられないことと、人間が変えられることがあります。
父親と母親の間に子供が生まれてくる、ということは、人間には変えられない「天理」です。

生まれ変わりがあるかどうかも、人間では変えられないことです。
 

(無題)

 投稿者:たろう  投稿日:2007年 9月20日(木)22時36分39秒
  ということは…

>神様の意図に反することなので、生まれ変わりはありません。

いえもりさんがおっしゃられた上の定義は、成り立たなくなりませんか?

「神様の意図に反することも生じているので、生まれ変わりもあるかもしれない」

と、このようにならないでしょうか?
 

(無題)

 投稿者:いえもり  投稿日:2007年 9月20日(木)21時44分17秒
  >つまり、”意図に反する”こともあるということでしょうか?

人間は、神様の意図に反することをたくさんやっていますでしょ。
戦争で殺しあうことにしたって、そうでしょう。
ほんとうは戦争などせずに平和に暮らすのが神様の願いであるのに。
人間は過ちを犯していますね。

神様の責任分担(役割分担)と人間の責任分担の両方があるわけですよね。

それはなぜかといえば、
たろうさんが、「”自分と対等な存在をつくりたい”この矛盾をはらんだ願いが、人類創造につながったと理解しています。」
とおっしゃったとおりでしょう。
 

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